今日も今日とて、とぜんでございます。

20代偏屈オタ男が日々とりとめないことを 書き留めるための随想録。 そしてそれは落書帳。 そしてそれはネタ帳。

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大晦日

いやはやベタなタイトルしか思いつかない。

インフルもだいぶ撃滅できたようだ。

今年もやっぱり奇抜な年明けにしようと思うので、

少し無理をして今から飛び出そうと思う。


さあ皆さん良いお年を。


思いの丈は来年の正月にて書こうと思う。


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風邪の日part2

ようやく熱が引いてきたみたいだ。
食べ物も好きなものを食べられるようになってきた。

父ちゃんと話していたのだけど、やっぱ色々なことができなくなって
初めて分かることが多いんだなということだ。
普通に歩けること、普通に喋れること、普通に食べれること、普通に眠れること。
当り前のことができなくなることが何よりも大変だ。

気をつけていてもそういうことに無頓着になってしまうのだから、
気にしなければきっと人はもっと横柄に、貪欲になっていくのは
仕方のないことなんだろうなと思う。

当り前の大切さを知るには何かを犠牲にしなくちゃならない。
意識的に犠牲にするのは多分無理だろう。
でも不思議と無意識的に何かを犠牲にして得たものもあることに気付かされる。
代償だったのか対価だったのかそのときはただ損失しただけだと
思っていたけど後になってみると意外と財産になっているもんだ。


シャナ見ようと思ったら鋼の錬金術士の劇場版やってたのでDVDに録画した。
ハガレンは何度見ても良い。等価交換ってのは伊達じゃない。
まあでもリアル人生って等価じゃないことも多々ある。
科学は法則が破綻しない限り必ず結果は等価だ。だから信じられるのだろう。
人間は等価じゃないから困る。だがそれが良い。

風邪引いて寝込むと余計なことばっかり考えてしまうものです。


風邪の日

外に出られないってのはやっぱりちょっと寂しい。
朝ジョギングしようとか言ったそばからインフルエンザにかかるとはお笑いである。

撮りだめして見てなかったアニメとか、買って読んでない小説を読んだりとかして
ぬくぬくと頭をぼーっとさせながら過ごす。人に心配かけて心苦しいけど
優しいメールとか届くとなんだか胸がいっぱいになったりする。

なんでもないことがなんでもなくなるのが風邪の日だ。
ちょっと無理しすぎたかなーとも思う。体や心は正直だ。

タミフルよく効きます。いい薬です。


流行性感冒

タミフル


タミフルキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!インフルエンザ来ました。

急に熱出たーと思ったら実に数年ぶりのインフルエンザ。
一緒にバスケした人やばいかもしれませんので気をつけてね。

大学入ってから確か一度もインフルなってなかったんでそろそろ来るかなぁと
思ったら来ましたね。筋肉痛なんだか関節痛なんだかわからんよ、もう。
看護婦さんに検査されるとき鼻の中3回もこより入れられて
すんげーマヌケ面してしまったのがちょっと恥ずかしい。
しまいにゃ、ぶわっくしょん!ってマンガ張りのくしゃみしちゃったじゃないの。

タミフル75服用特に問題なし。でもやっぱすげー夢見るね。
てか熱でまともに寝れないとか久し振り。

てか図書館いけねーや。まじでやばい。
まあ逆にこの時期にかかるのはありがたいと言えばありがたいのだけど。

おー頭が痛い。んじゃ寝ます。
思いっきり流行に乗ってしまった。
こんなところで流行に乗りたくないもんです。

皆さんも気をつけて。


安西先生いないけど、バスケがしたいです。

今日はバスケットしてきた。すんげー楽しかった。
やっぱ運動してないと全然だめだということもよくわかった。
オールナイトの後のオールコートはだめだということも本当によくわかった。

そこそこ動けると思ってたのにやっぱバスケを甘く見てた。
でもすんげー楽しい。でもシュート入らないってさびしいね。
もう少し入ると思っていた。何もかも甘く見てた。
時間の関係で不完全燃焼でした。もう少しやりたかったです。
バスケもっとやりたかったです。

最初はわきあいあいと楽しくやろうと思ってたんですけど
やっぱ無理だよね。本気になってしまう。ガチになってしまう。
ボールへの執着が足りないと思いました。

練習中にスリーポイント入っても仕方ないんです。
本番で入らないとだめです。本当に情けない。

少し本気で体づくりしようと思いました。
早朝ランニングがやっぱ手っ取り早いと思う。
技術云々とかそれ以前の問題でスタミナが減少しすぎてる。
運動量が全然足りませんでした。

それでも本当に楽しかった。
言葉じゃなくて何か熱いものを感じられるのがスポーツの良いところだと思います。


敬虔ではないけれど。

ミサ行ってきた。いやー感動した。
賛美歌とかよくわからなかったけど厳かなのも悪くない。
なんとなく一神教というものがなんなのかその片鱗が少しだけつかめた気がする。
イルミネーションも悪くないが、キャンドルの揺らめきってのもまた良い。
いろいろ考えさせられる年だっただけに隣人愛とかその他入信しそうになるくらいだった。

聖書ちょっと買おうかと思った。というか完全にかぶれである。
でもやっぱ原点を知っているとそうじゃないのではお祭りごとってのは
全然楽しみ方も変わってくるので、かぶれでもよかったと思う。


ハーゲンダッツ クリスマスケーキ


やっぱ食べたいよね。ケーキ。
そいで冷凍してたクリスマスケーキですよー。
冷凍しちゃだめだろって思うだろうけど、
ハーゲンダッツのアイスケーキです。というかアイスです。
これがやっかいというか大変でしてね、これ自分でデコったんです。
なかなかうまくいったのでちょっと自画自賛。

アイスだから早くデコらないと溶ける溶ける。
キャラメルの述べ板アイスにチョコクリームとホイップクリームを絞るんです。
最初からデコるためのセットなんです。自分で飾り付けて食べるってのが楽しい。

味は言うまでもなくハーゲンダッツ(CM調)。
濃厚なキャラメルがあなたを刺激する。って感じです。旨し。


さて次は正月ですな。
今年はどんな正月になることやら。てか卒論やれよ、おれ。ばか。


サンタ



イヴの朝

結局今月も毎日更新失敗。そんなもんだろう。

おれが所属していた放送サークルで後輩の3年生が今日(昨日)引退した。
その引退式というか壮行会というか飲み会に顔を出してきた。
顔を出してきたというより思いっきりはしゃいだ。
みんなおれと同じOB、OGになったというわけである。

去年はステージに立って追い出される役だったわけだけども
今年は舞台の外から追い出される姿を見る役になった。

当たり前だが感覚が全然違う。たった一年でこうも見方は
変わっていくのだろうかと思った。引退したからといって
まあ特にそこまでセンチになることもなかったのだけど
やっぱりなんか胸にくるものはある。

我サークルは毎年2年生が3年生を送りだすために
色々試行錯誤をして盛大に催しをする。
毎年2年生の趣向によって形は変わっていくのだけれど
先輩を晴々と追い出すという意味では皆その根本は変わらない。

自分たちが計画したときはおれは裏方にいたので全貌が
よくわからなかったんだけども今年も本当に良いコンパであったと思う。

当事者でもないのに少し心がぐらっと揺れてしまった。
思い出の写真がスクリーンに映し出されるってベタな演出があったんだけども
本当に素晴らしいと思った。笑顔の写真って人を幸せにする。

世の中金になることしか意味がないというのは本音だろうけども
ああいう写真が残せるって結果的に貧しいか豊かか
知らないがやっぱり最高だと思う。

たった3年間だったけれども今日一つの世代の終わりを
見届ける席が用意されていてありがたく良かったなぁと思った。

まあこれからも2年はいろいろあるし、
引退した3年はだいたいは社会人になる。
変わっていくこともたくさんあるけど、ずっと変わらないこともある。
時間が経ってその二つが見えてきたとき何事にも代えがたい
感慨があるのだと思う。少なくともおれはそのことに感動した。

何が?とか、どこら辺が?とかは具体的には言えない。
ただそう感じるときがあるし、きっともう感じてる人もいるはず。
それを大事にというか忘れないでほしいと思う。

本当に良い夜だった。そして良い朝が来た。

一足早いがメリークリスマス。


早すぎる!

一年が終わるのが早いとかそういうセンチな話ではない。
何がというと髪や爪が伸びるのが早すぎると思う。
いや平均速度ってあるのだろうけどおれは早い方だと思う。

この前髪を切ったじゃない?と思ってたのになんかもうモッサリしてきている気がする。
爪もいつのまにか伸びている。生理現象ってのは大抵意識の範囲外だから
いつのまにか、とかもうこんなに!?という感じのが多い。

本当は一番気にしなくてはならないことなのだろうけど
身近な分どうもことが終わってから気づくというのが多い。

伸び伸び行きたいとは思っているけど、あまりに伸び伸びしすぎだ。
関係ないけど野比のび太のネーミングセンスには脱帽する。


身だしなみを維持するって男にとってはなかなか大変だと思うんだけども、
最近は男性用化粧品のコーナーもでかでかとあるくらいだから
男も女もキラキラになっていくのだろうか。

不思議に思うことがあるのだけど、孔雀にしても鴨にしても
美しく煌びやかなのは「オス」である。
大抵ほかの動物もそうだったと思うのだけど、
なんで人間だけ女性の方がキラッキラになることを要求されているんだろう。
常々疑問に思う。いやキラッキラじゃない女性とキラッキラの女性なら
おれもキラッキラの女性の方がなんとなくいいかなぁとは思う。
別に悪い良いとかではなくて、なんでだーと思うだけだ。


まあ身だしなみを整えるって日本の社会常識になってるくらいだからなぁ。
でもこれがなかなか難しい。服装とかって人のセンスが入るからである。
画一化することが日本の礼儀の一つの特徴だと思う。

でもなんだか色々なものが崩壊してきて、好ましい服装ってなんなのだろうと
あくせく就職活動用のカバンを借りて去って行った友人の背中をみてふと思うのである。


個性的に生きようとかいっときながら、
大人になったら必ずスーツで来いとか言うのだから大変だ。
確かに子供みたいな、だだっこの理論かもしれない。
だけど主張としては矛盾していないことだと思う。

「服じゃなくてもっとほかのことで個性を表現しろ」と言われるのだろうが
あんまり筋は通っていない。反発があるのは当然だと思うが、
日本の歴史である常識の歴史を振り返りながら説明するのはあまりに困難だろう。

今この常識についてとにかく議論や番組が盛んだ。
常識があると偉い!とか常識がないやつはだめ!とか言ってるのが殆どだが、
まったく的外れだと思う。

なぜ常識が生まれたのか?
なぜ常識がいままで通用してきたのか?
なぜ常識が必要なのか?
本当に必要な常識ってなんなのか?

ってことを一から考えなくてはもうだめだと思う。
社会の仕組みはとっくに変わってしまっているのだから。


ホワイトスイートハート

白い恋人


北海道の銘菓と言えばまずこれである。知っている人もたくさんいらっしゃるだろう。
確かドラマ「眠れる森」にこの缶箱が地中に埋められてる
シーンがあってこの柄をは印象的であった。

これのドリンクもあるのだけど北海道出身だというのに怖くて飲んでいない。
ドロンドロンだったら恋人どころの騒ぎではないと思うからである。

雪印の例の問題があってから色々な商品を販売中止にしていたので
この白い恋人もしばらく売られていなかった。
再販されたときは待ってましたというばかりにものすごい勢いで売れたという。

食品業界ではブランドのある製品に一度何か問題があると
そのブランドついた関係ない他の商品まで一気に信用が落ちるので
なんだかなぁと思うことは多々ある。

というか食の安全について何かを取り違えてしまっていると思えざるを得ない。
あまりにこだわりすぎて少し気持ち悪く思う。だいたい何が「安全」なのだろうかと思う。
食べたって死にはしないのだから殆どの食べ物が安全に決まっている。

もう少し鷹揚になるべきではないのだろうか。
でないとせっかくの食い物も不味くなるというものである。

消費者はモンスター化している。
まあ体制にも色々な問題があるので、
一概にどれが悪いとも言えないのが苦しいところである。

とりあえず変わらず、これはうまかった。
これの製造工場にいったことがあるのだが、それはもう立派なラインを備えた工場だった。
市場に出ているものと生産されているときの状況の違いをよく知らないというのも
変なアレルギーを起こす原因だと思う。ただバッシングするだけではなくて
少しは自分で調べて知ろうとすることも必要だと思う。

自分の口に入れる者を自分で作らなくなってしまった時代であるから
かなりこれは難しいことだと思うが、諦観から何も良いことは生まれはしないと思う。


懐かしき友

図書館で講演会の申込みしようと思ってエレベーター待ちをしていたら、
急に人が近寄ってきたのを感じる。徐に視線を向けると久しぶりに見る友人の姿だった。

なんだか懐かしくなってしまい話込んだ。
一度は同じところにいてもずっと一緒にいることはないし
いずれ価値観や方向性の違いで人は別々の道を歩き出すものだが
一度できた友というのは久しぶりに会っても話は弾みだす。

なぜか一瞬で時間が戻ったような感覚になる。
そしてそれに気付くとき、多分おれも友人も根本は変わっていないだと思う。
根本をつかみ合ってるからこそ揺らがない会話のリズムがある。

久しぶりにあったものが変わらぬ姿でいるということはよいことだ。
何事にも代えがたい安堵がそこにはある。

理屈ではなく直観的に相手がどんな人間か分かるときがある。
それが人と付き合っていくことの一つの形なのだろう。
分かっていても、どうしても譲れないこともあるし、理解てきないこともある。
だがそれ以上に「分かるということ」を大事にしたいものだ。

時間で多少風化しようとも会話でその埃を払えばまたそこに昔の時間が戻ってくる。
そういう関係はなかなかあるようでない、大切にしたいことである。


ローリング

ANTENOR


ANTENORの栗のロールケーキ。
ANTENORのマークってラルフローレンみたいなマークだ。
女の子もケーキ好きだろうけど、男だってケーキ食べたい。

パティシエってすごい。この前のテレチャン確かクリスマスケーキ対決だったけども
飴細工のエッフェル塔とかマジパンのサンタ人形とか本当に職人芸だ。
あれで食べても旨いのだからすごい。センスいるなぁと思う。
デザートっていうのは食の芸術だ。繊細である。
それでいて力もいるのでパティシエに男が多いのもなんとなく頷ける。

暇がありゃおれもケーキとか作ってみたい。
お菓子とか食べ物は口にすべて運べばそれで終わってしまう
一瞬の楽しみだけど長い人生の中でのそういう刹那の楽しみが
人を幸せにしてくれる。ずっと幸せなんてこたぁ、この世にはありえない。

この栗のグラッセがまたうんまいね。マロンクリームもまろやか。
うえのホイップを混ぜながら食べるとまた味が変化して表情豊かに楽しめる。
薄いチョコのプレートは甘めなスポンジに対してビターな仕上がり。

こういう調和を考えるというのも一苦労だと思う。一皿一皿にたくさんの手がかかっている。
だからケーキバイキングでばくばく鬼のように食らうというのはちょっとなんだか勿体ない。

もっと味わおうよと言いたい。食べ物だけじゃない。
便利になって世界の距離は縮まっても何故かこの国はあくせくしている。
食べるときくらい鈍間でいこうよ。ゆっくりお茶を飲もう。
モンスターコンシュマーにならないようにしよう。


フォグモーニング

朝もや


朝早くに外を見ると霧がかかっていることがある。
このなんともいえない色合いがかなり好きだ。
パステルカラーっていうのはこういうのだと思う。
あいかわらず遠くはなんだかグレーだけど、神秘的だと思う。
むちゃくちゃ寒いんだけどそれもまたいい。

気持ちの良い朝ってのは良い。
熱いコーヒーを飲みながら迎える寒い朝がやっぱり一番だと思う。
それだけでちょっとした贅沢に感じる。

冬を象徴する風景のひとつに枯れ木がシルエットになって見えるところがあると思う。
この感じがなんとも生き物に見えたり、何か不思議なオブジェに見えたり
そういうのもなんとなく奇麗に思う。

心に残る風景ってのはなにも特別な場所だけじゃない。
なんでもない場所にだって物語はあるものだろう。


ペプシネックスとコカコーラゼロの違い。

いや、かなり微妙な問題である。でも気になる。
炭酸で考えるとペプシの方が強い気がする。
これは多分普通のコーラとペプシでもそうだと思う。
だからネックスの方が炭酸では勝るはず。

ネックス対ゼロとか実はなんかかっこいいじゃない。
ライバル同士むしろここはタッグを組んで広告してみたらどうだろうか。


CMでいうと確かゼロはスーツ着た男がちょんまげの代わりに
コカコーラゼロを頭に乗っけてるやつだった。
なんであんなにシュールなんだ意味がわからない。アグレッシブ過ぎるだろう。
エステーの消臭プラグくらい前衛的だと思う。
なんで「どこでもオ~ルウェ~イズコカコーラ♪ゼロ~♪」にしなかったのだろうか。
字余りだからか。なるほど。

一方ネックスは女王様とガリレオとブッキーがなんか「おいしいところがいい。」って言う。
最近は「クリスマスは恋人と過ごすのも良いけど一人で過ごしたり、
家族に感謝するのも悪くない」とか言って優しいじゃん。
「おいしいところがメリークリスマス」って。どうしたおい。急にテンション変わったな。
クリスマスバージョンでエリカ様のパターンのをまだ見たことがない。
「恋人と過ごすのが一番良いに決まってんじゃん」とか言ってたら
ネックスばかり飲むことにしようと思う。

CMで見るとそういうギャップ的な意味とキャスティングでネックスの方に軍配があがるか。


味で見るとこれまた微妙だが炭酸が強い分ネックスの方が甘くないように感じる。
昔のダイエットコークの味に似てるような似てないような。
ゼロはなんかカフェイン多いのかなんなのか香辛料っぽい味がする。
ダイエットコークとゼロの違いも気になる。

甘味料の違いあるのだろうか?

ネックスを見てみると、
アスパルテーム・Lーフェニルアラニン化合物、アセスルファムカリウム。

ゼロを見てみると
アスパルテーム・Lーフェニルアラニン化合物、アセスルファムカリウム、スクラロース。

舌を噛む。あれ?なんか多い。ゼロの方がスクラロースとかいうのが紛れている。
こいつのせいなのか?てかスクラロースって聞いたことある。

キシリトールが有名になりすぎてほかの奴って日の目見てない。
名前言いにくいからだな。

アスパル君とアセスル君は砂糖の200倍甘いらしい。
スクラロース君にいたっては600倍の糖度らしい。
スクラロース様最強じゃないすか。何その甘さ。600倍はやばい。

甘味料のボスはスクラロースってことは間違いないな。
甘すぎるよ。砂糖とかスライム並に思えてくる。いやイヌとかネコレベルだな。

多分スクラロースの有無の違いは味にも大きな違いを与えているだろう。

ソフトドリンクって奥が深いもんだなぁと思いました。


夜の街の横顔

昨日は飲み明かして、中途半端な時間に店から放り出されたもんで
テレ朝でやってる地井武男の「ちい散歩」を見習って夜のちい散歩をしていた。
響きがなんかいやらしいが気にしない。

住み慣れた町だっていうのに目的も特になくぶらぶら歩いていると
本当に色々な発見があるものだ。

夜の散歩


横浜駅前というのはやはりどうも変わった構造をしているように思える。
よーく見ると、とにかく建物が古い。そしてなんかあやしい店も多い。
いや確かにどこの駅でも裏手に入るとそういうことは多いのだが
横浜西口というのは出てすぐに怪しいところが多い。
でもあんまり気にならないところがすごい。

この退廃的な雰囲気はなんとなく嫌いじゃない。
かれこれ4年近くもいると住めば都的な情緒も
沸いてくるというもので確実にまた一つの故郷になりつつある。

どうでもいいけど街の落書きというのは本当に面白い。
改めて見るとめちゃくちゃ意味不明で気になってくる。

この橋の手すりに書いてあったのだが、

「1999、くやしい」

という一言に今回の(一回限りだろうが)夜の落書き大賞を授与させていただきたい。

今から8年前いったい何が悔しかったのだろう。
街には色々な人たちの足跡が残されている。


角さん、ちょっと。

我が家もあっちこっち地デジになってからしばらく経った。
レコーダーもあり、CSチューナーもあり、その上にWiiが
乗っかっているので3段重ねになっている。

リモコンも3台あるのでどれを使えばいいのかと思いきや結局どれでも動くという始末。
どれでも動くなら合体しろと思ってセロテープで3台ともぐるぐる巻きに
してやろうかと思ったけどネバネバするし、
縦に長くなって振り回したくなるから辛うじて却下した。
横に巻けばいいだろうとも思うがなんかかっこ悪いのでそれも嫌である。

あとはチャンネルが増えすぎである。スカパーに登録したときもなんだよ
このチャンネル数は、「チャンネル317」って3桁かよと思っていたし、
んじゃ「チャンネル777」とかラッキーじゃんと思って入力したら
「このチャンネルには番組はありません」とか言われてくやし泣きしたこともあったけど、
通常の民放でこの数はさすがにびびる。

当然録画もできるのでTOKYO MXとかのマニアックなアニメも見れるわけで
そんなのを録画しようとすると、録画用の番組表と普通の番組表があり、
録画用の番組表を開くにはレコーダーのリモコンでさらに上の切り替えスイッチを
テレビからレコーダーに変えて録画表ボタンを押すということをしなければならない。
でもGコードいらないってすげー。テレビ欄も見ないわけで
いよいよもう若者は新聞に触れなくなるんだろうなーっと思う。
今は慣れてこの作業に問題はないのだけれども、この前ある問題が起こったのだ。

テレビからレコーダーの放送に切り替えたとき水戸黄門がやっていた。
もちろんこれを録画したいわけではなく、録画用番組表を軽やかに開く。
んで左右のキーで自分の録画したい番組を選ぼうと思ったら
全然動かないのである。レコーダーに切り替えたよなと
分岐スイッチを見てみるが明らかにレコーダーに切り替わっている。

ちょっとむっとしてレバガチャしているとあることに気付いた。
なんかレコーダーの放送中の水戸黄門の角さんが微動だにしていないのである。
よっぽど驚いたんだろうなぁとか思っていたら、違う。
明らかにフリーズしている。放送が止まっている。

なんじゃこりゃ!っと思ってビビリながら電源を消そうとするけども
電源すら消えてくれない。「おいおい言うこと聞け!」とかいいながら
消すけども元気にオングリーンランプが点灯したまま。
「いいんだ…もうお前の役目は終わったんだ」とか言っても消える気配なし。
凝固した角さん怖すぎるよぁ。目見開きすぎだよ。こりゃやばいよぉと思いながら
渋々後ろの電源アダプターを引っこ抜いて再起動すると、
軽やかに黄門様が歩きだしたのでひどく安心した。
これで「この紋所が目に入らぬかぁ!」が聞けるぜぇっと。

違う違う!おれは黄門じゃなく録画したいんだ!と思って
改めて番組表を開いて見事録画予約に成功したのであった。

しかし前まではビデオに切り替えたからってフリーズするなんてことは
考えられなかったし、デジタルになるとそういう弊害もあるんだなと気づいた。
パソコンも滅多にフリーズすることもないこの時代に
テレビがフリーズしたもんでちょっとテンパった。

アナログがいいのかデジタルがいいのかわからないが、まあどっちも良いところも
悪いところもあるわけで人間と一緒ってことだわなってことで落ち着こうと思う。


遠隔更新

用事で家を開けて、ホテルで更新中。特に面白いものもなくだらだら本を読んでいる。

たまに違うところで過ごすと変なわくわく感がある。意味もなくフロントうろついたりとかね。
寛ぐってことが割りと下手くそかもしれない。
というか一人でホテルってだいたいそわそわする場面だよなーっと思う。
白熱の間接照明に囲まれながら、ちょっと今までのこと振り返った。

ちょいとばかし疲れた。


ぐーぐーがんも

なんか昨日から腹がぐーぐー鳴って仕方がない。
食べてもなるし、食べなくても鳴るんです。
いやこれがアニメ張りの鳴り方だからなんか笑ってしまうし、笑われる。
本当に「ぐぅ~~~ぅ~~」ってなるんです。

原因不明。ぐーぴた飲めば治るのかもしれませんが、
面白いからこのままでも良いかと思う。
ゲップして笑いとれる時代ですから、腹が鳴っても笑いとれるんですね。

んでなんか色々と忙殺されそうです。なんか色んな本読んでると考え方って
本当に様々だねぇって思う。最近あれじゃないすか、なんか色んな人生論とか、
生き方とか賢い部下との付き合いかたとか、人付き合いに関する本が
すげー出てるんですよね。

昔からこんなにあったかどうか知りませんけど、平積み率は高くなってる気がする。
それだけみんな人間不信なのかねぇってちと思う。好きに生きりゃいいのに。
色々影響されるの結構だけどあんまそういうの他人に押し付けるのはよくないさね。

ちょっと家開けるんで明日お休みいただきます。
いまんところ、ひと月もフル更新してないからいつかやってやろうと
思うけどもやっぱり毎日書くってのはなかなか至難の業だ。

ちっとも文章巧くならないもんですね。
とりあえずいっぱい本読まないとだめだなって気がします。精進。精進。


欠けているもの

色んなことに関して思うのだが、失って気がつくことは本当に多い。
人は「在る」ということに関しては無関心だけども「無い」ということに
関しては非常に気が付くことが多いのだ。

無の状態から何かが生み出されようとも、最初はもてはやされるけれども
いずれ当たり前になって誰も気にならなくなり、「普通」になっていくものだ。
この感覚ってのは人間に生まれた以上なくならないものなのだろうか。

そうして突然それがなくなると、いかにそれに頼っていたかわかる。
安心していたかがわかる。要は感謝の気持ちって忘れてしまっている。
そういう忘れさられた感謝について絶望している人はたくさんいるみたいだ。
そういう人たちってのは救われないのだろうか。

「人は自分が幸福であることを知らないから不幸なのである。」

という幸福についてのドストエフスキーの名言があるが、
おれはこの言葉を非常に気に入っている。特にモノにとりあえず不自由しない
今の日本に住んでるおれは常にこのことを忘れちゃならないと思っている。
万人にとっての「幸せ」とは何かなんておれにはわからない。
今までも確かに苦しい思いはしてきたし、楽しい思いだってしてきた。

ただ苦しいときは不幸だと思い、楽しい時は幸せだと思う。
それだけのことだったような気がする。だから辛いときだって
とりあえず今まで腹いっぱい食べて、自分で考えて、何かを選んで捨てて
生きてきたおれにとってそれは既に幸せであったと言えるんじゃないかと、
この言葉を思い出す度にそう思うのである。

まあつまりは全て「気の持ちよう」ってことに集約されてしまうんだけれども、
その気の持ち方がはっきりいってその人の生き様なのだから
そんなに疎かにしていい話でもないだろう。

少なくともこう言う風に考えられるように今まで生きてこられたことについて
環境とか運とか人には感謝したいとは思っている。人は感謝を忘れるから
ときどき思い出さなくちゃならない。慣れてしまうから捨てなければならないこともある。

でも案外、自発的にそういう風な場面って用意されていることが多い。
それならその場面に対してどう「気を持つか」それに拘って生きてみたい。


二日酔い小夜曲

久しぶりに本物の飲みすぎってやつをやらかしてしまった。
いくら飲んでも記憶が残ってるのはよくない。
悪いことしたらそれも覚えてるので罪悪感があるのでよくない。ごめんなさい。
気の置けない間柄で呑みまわしているとついついブレーキ忘れてしまうもんだね。

しかし酒ってやめられんね。旨いから。それでもちょっと分別付けないとだめだよね。
もちろんフォーマルな場とか先輩居る所じゃそういう風な飲み方しやせん。
TPOって大事だ。結構わきまえてると思うんだけど、気を許してしまうと
やりすぎかなって思うことは多くて情けなく思う。

それでも楽しいことを楽しんじゃだめってのは我慢できないし、まあ健康に生きてると思う。
笑って酒飲めるって幸せなことだ。食べ物とか飲み物が結局のところ一番何よりも
物理的にも精神的にも人を支えてるんだと思う。如実に食べられない人ってのは
本当に可哀想だ。健康でいられることが本当に一番大切だと思う。


探しものはなんですか?

クリスマスも近づいてくりゃあ、正月も近いってわけで忘年会、
新年会とパーティー尽くしで服が欲しくなるってもんだ。

んでちょっとフォーマルなパーティ行かなきゃならんもんでしてシャツが欲しい。
それでビジネス用のなら何着かあるんだけども、パーティドレス系のシャツが
欲しいんですわ。まあビジネス用のでもどうにかなるとは思うんですけど、
そのやっぱお洒落したいじゃないすか。

それで今青いシャツ探してるんです。サンジとかルパン張りの真っ青いシャツを。
これが無いんですねー意外と。探し方が悪いのかもしれませんが
普通のスーツ屋いっても見当たらないんですわ。「んじゃぁさ、普通じゃない
スーツ屋に行けばいいじゃない」とか言ってくれる人いるんですけど、
普通じゃないスーツ屋ってどこにあんのよってなわけです。

臙脂系統なら何着か見た覚えがあるんですけど、ないものねだりしたくなるというか、
見つからなければならないほど人って探したくなるというか、手に入らないものほど
欲しくなるってのが人情ってもんでしょう?

だから探してるんです。もしこれ見てそういうの売ってるの見たことあるよとか、
知ってるよって人どなたでもかまいやせん。教えてください。

それにしても服って見てるだけでも楽しいもんね。なんか久々に
着たいって服を思いついたのでなんだかわくわくしっぱなしです。


第3章:突然の別れ

なんだか突然の更新ですが、まだ続いています。月刊連載とでも思ってください。
なんとか完結に向けて合間を縫って執筆中です。



不夜城「レジャっぱ」で遊びつくして肉体的限界を超えた我々は
8月13日になったばかりの夜の博多をふらついていた。「レジャっぱ」から
博多駅までかなり距離があった。行きの目算では徒歩20分くらいだろうか。

「なんだよーたかが20分くらい大したことないだろう」と思う方もいるだろう。
確かに「普段」なら私だってそう思うのである。だがしかし、はっきりいって色々な意味で
限界を超えていたのだと思う。夏の猛暑の中、丸三日ほとんどまともに寝ずに
電車を乗継ぎ、歩き通してきたのである。もちろんすべて自業自得、覚悟の上での
旅行なのでその場で愚痴などはこぼしはしなかった。

しかし足は鉛のように上がらなくなっていたのは事実である。
おまけにボーリングをやったせいで心なしか腕もちょっと重い。
だんだん足の重みは疲労の蓄積により鈍い痛みに変わってくる。

そんな寝床を探す帰りの道すがら後ろから光がやってくる。
タクシーの前照灯が寂しい夜道を黄色く照らす。あっさり追い抜くかと思いきや、
手もあげていないのに私たちの目の前を急にゆっくりと走る。

どうやら運転手は私たちの後姿を見ただけで「こいつら疲弊してる」と察知したのである。
なんだか悲しくなると同時に絶対に乗らんという意地が胸に湧き上がってきた。
何故か他の3人も特に乗ろうと言い出さなかったのでそのまま歩いて帰ることになった。

だんだん街の明るさが近くなってきて見慣れた博多駅の姿が大きくなってきた。
妙な安堵感がある。駅前ではストリートミュージシャンが階段で気の利いたバラードを
熱唱していた。疲れていると音楽というものは胸にストンと響いてくるから不思議である。

漫画喫茶の看板が派手に光っている。なんでこの光がこんなに神々しく
慈悲に満ちあふれているように感じるのか、既に体の限界である。
エレベーターに飛び乗り上の階を目指す。ゆっくりと扉が開くと
ビルの蛍光灯が強烈に目を射す。光に慣れてあたりを見て目を疑った。
なんか人が並んで待ってる。

「はは、まさかねぇ。漫画喫茶ってそんなに混まんよね。」
「一時間待ちです。」
「は~わかりました。(この野郎!おれらの寝床を返せ!)」

仕方ないから駅を挟んで逆側の繁華街っぽい方の漫画喫茶を探すことにした。
幸いすんなり入れたが、座敷室とマッサージチェア室しか空いておらず、
ミキサーの彼と私は迷わず座敷を選んだ。恰幅の彼はマッサージでいいというので
その好意に甘えたのであった。分からない人に説明しておくと座敷型の部屋は
椅子はなくマットが敷いてあるので横になるのには打ってつけなのである。

ところでメガネの彼だか、彼は別室待機である。
彼は一足先に出身鹿児島へ向かわなければならないのである。
時刻表マスターの彼をここで失うというのは大変心苦しい。危険である。
しかし彼にも彼の事情があるので我儘を言うわけにはいかない。
勿論私たちも鹿児島は目指すのであとでメガネの彼と合流するからしばしの別れである。
明日はメガネの彼を除く3人で博多観光と洒落込む手筈である。

とにもかくにもまずはこの疲労を取り除かなければなるまい。
今日こそはゆっくりと眠ろうと決意した。そして明日はまた博多ラーメンを食べようと思う。
九州について最初の夜は更けようとしていた。
そして朝は色々とやらねばならないがありそうだ。

黒いマットに伏しながらそんなことを考えて眠りにつく。
次の朝が混沌に満ちた幕開けになることなど予想だもせずに。


さんぽ~♪さんぽ~♪お犬のさんぽ~♪

おれは犬は飼っていない。犬好きだけど飼っていない。
そもそもマンションだから飼えません。

んじゃなんでこんなタイトルなのかというと家のマンションの周りのちょっと
こ洒落た川沿いの歩道はワンちゃんの散歩コースになっているんです。

夜帰ってくるとワンちゃんが散歩してます。
朝帰りしても早朝からワンちゃんが元気にひょこひょこ歩いてます。
んで昼間病院から帰ってきてもゆっくり優雅に闊歩してます。

あれ?いつも散歩してるじゃない。そうなんです。とにかく多種多様な
ワンちゃんが四六時中散歩してらっしゃるんです。小さいのから、
耳がぴよっぴよんの奴から、飼い主よりでかい犬まで、もうワンちゃん触れ合いロード。

んでなんかこの前うちの母ちゃんがでかい犬が向こう側から来てびびって
飼い主のおばさんに「大丈夫ですか?」って言ったんです。
そしたらそのおばさんがこう言ったそうで。。「大丈夫に決まってるでしょ!」と。
それはもうかなり苛立ちを込めて言い放ったらしく、面食らったそうです。

まさにお犬様状態です。綱吉が生きておったら恐らくちょっとは喜んでいたでしょう。

加えてうちの周りは犬だけじゃなくて、かもめもいるし鯉もいるし鴨もいるんです。
んで野良猫もすごい。猫おばさんとかいう人が餌あげてるらしいです。
もう突然人を横切り塀をハイジャンプしてくるんです。
びっくりしてこっちがニャー!って言ってしまいます。

もういっそうちの前の通りはアニマルロードって勝手に呼びます。
んでもうひとつ呼び名考えたんです。ズバリ○○○ロードです!ん?見えない?

んじゃヒント教えましょう。犬とか猫とか沢山いるとあるものがたくさん道端に落ちるんです。
そう、う○ちですね。食事中の方ごめんなさい。不意打ちでごめんなさい。

愛犬を散歩に連れていくのはかまいません。おれも犬好きです。
でも頼むから、うん○の処置はして欲しいのです。

そうしないと○んちロードって呼ばなきゃなんなくなっちまいます。おれは。

ちょっといつもとテンションが違ってすんません。
たまにはこういうネタっぽいのも一つよろしく、どすかってことで。ご勘弁を。


夜長に思うこと

すぐに日が落ちるようになったのでなんだか時間が経つのが遅い気がする。
暗くなるともう夜かと思っても案外そんなに経ってなかったりするからだろうか。
寒くて暗いとなんだか色々なことを思い出してしまうものだ。

「シャーマンキング」に暗闇の洞窟で一週間暮らすとかいう修行があったような
気がするけども闇ってのは人を不安にさせる力があるってのは間違いなさそうだ。
それでも冬の夜ってなんかいいんだよなぁ。一番落ち着く。
冬の夜の寒さは故郷にいたときのことを思い出すからだと思う。

もうちょっと踏ん張ってみようと思う。見栄張って自分に嘘ばっかりついていても仕方ない。
悪い方に転んだって良い方に転んだって自分で決めたんだったら
やっぱりその通りにやらなくちゃなって思う。今思ってることに忠実に生きよう。

いやー寒いからウォッカをストレートで呑んでいます。
すぐ温まるし意外に残らないからオススメ。
何故かよくわからないがロシア人の気分だ。


12月!

いまさらなんだと思うかもしれないけれども師走である。

イルミネーションがキラキラ。街を歩いているだけで何でこんなにも楽しいのか。
お祭りイベントってうんざりしたようなことも感じるけどやっぱり
楽しいものは楽しいと思ってしまうのでこれからはどんちゃかして行こうと思う。

ただやっぱりイルミネーションは12月入ってからで良いと思う。
11月はちょっと焦りすぎなんじゃないかい?と思ってしまう。

息も白くなって、チキンもおいしい季節。
個人的に食べ物がおいしい!って感じる季節も冬なのである。
寒い中、食べるラーメン、鍋、アイスクリームなんでも旨いのである。

それにしても2007年も終了とは、本当に早いものです。
今年流行ったものすら思い出せないとはなんだか情けないような悲しいような気分だ。

クリスマスプレゼントはとりあえずもうちょっと色々余裕が欲しいなぁと思います。
サンタさん頼むぜ。


気力不足

卒論のために本をどっさり借りてくるけども、机の上にどっさりと乗っかっていると、
気持ちがもっさりとしてくる。書きたいことは決まっているのだけれども
文献を読まないことには何も始まらないわけでしてどうにも大変だ。

何万字書かなければならないところもあれば何千字で済むというところもあるし、
卒論出さなくても大丈夫な場合もあるというのだから大学の仕組みというものは
本当に不思議である。まあ他の人のところを気にしていても仕方ないので
自分の納得できるものを仕上げるのが全てだと思う。

文章を書くのは好きなのだけれども、何を書くかということを考えるのは
本当に頭が痛くなるものだ。作業的に文章を書くんじゃなくてこうなんというか、
内から湧き上がる感情表現みたいなものを文章化しているときが一番楽しい。

ここで書いた旅行記も途中だけれども、あれも書いてるときはめちゃめちゃ楽しいのです。
いっそあれを卒論として提出!ってんな馬鹿なこと許されないよなぁ。

好きなことするってのは大変だけど楽しいってことなのが
分かるだけましかなっと楽天的に思ってどうにかしてしまおうと考えています。


インターネット接続サービス

引越しの手伝いにいって、インターネット接続の助っ人をしに行った。
最近はこの手のサービスってのは商売になっているらしい。
おれは中学の時からPCを触っていたのでPCを弄ることには多少覚えがある。

でも身近にこういうのを知っている人がいなければお手上げだと思う。
ただちょっと説明書と睨めっこしてがちゃがちゃやってれば繋がるので
高いお金を払ってまでやってもらうというのもなんだか勿体ない気がする。

年配の方ともなると本当によくわからないことだらけだと思う。
特に地上デジタルだなんだと騒いでいるけども、お年寄りにとってみたら
アンテナがなんだとか設定がややこしいことこの上ないと思う。

それにしても通信技術の進化というのは末恐ろしいものを感じる。
今もおれの目の前に無数の意味をもったデジタル信号たちが
見えずに飛び交っているのかと思うとちょっと気が滅入ってくるのである。

インターネットに繋がったときのあのわくわく感というのを久しく忘れていた。
98時代のインターネットといったら本当に夢の産物で、
もはやアレクサンドリア図書館並みの伝説級のツールというイメージだった。

なんでも当たり前になってしまうと大切さを忘れてしまうので良い反省になったと思う。


光と影

電脳コイル最終回を見ました。

このアニメについては以前一度記事を書いております。
http://hayabusan.blog101.fc2.com/blog-entry-132.html

今週の土曜日から一話から再放送されますので良かったら是非見てみてください。
NHKのアニメってことで視聴率低かったみたいですw
これまでのNHKアニメのイメージと全然違います。

とても感動した。すごく優しい気持ちになれた。
正直おれは昨今の情報化社会というかコンピュータ社会には利便さは感じるものの、
どこか人間的な何かが失われていく不信感のようなものを常々抱いています。

電脳コイルの世界では携帯よりも一歩進んだウェアラブルコンピュータ、
「電脳メガネ」をかけた子供たちがバーチャルの世界で町中を遊び回っている。
この作品の奇妙なところというか面白いところは、かなり近未来的なツールを
使って子供たちは遊んでいるというのに、その遊び場は町の神社だったり
駄菓子屋だったり空地だったり公園だったり河原だったりするところである。

ジャンルは間違いなくSFに入ると思うのだけれども、宇宙がどうとかクローンが
どうとかという話とは縁遠く、おれが小さい頃外で遊びまわった時代と
なんら変わらない世界感がそこには広がっている。だから内容は非常に
コンピュータチックなのに冷たい印象を受けずバーチャルであってもむしろ
人間的な温かさの所在がまた違った視点で浮き彫りになっていると思う。

このようなユビキタス社会が到来するのならおれは歓迎しようと思う。
というか社会の流れは誰にも止めることのできないものなのだから
どこかその仕組みやシステムに不信や嫌悪を抱いたとしても
そこから何か別に生み出された良いものを探していかなければならない。

人間社会に生まれついた以上、組織や社会や体制にあらゆる場面で悩み、絶望し、
落胆することがあるけれども、それらがすべて、意図的にしろ自然発生的にしても
一人一人の人間的行為の果ての一つの帰結だとするならば、
結局自分がどうありたいかということに世界は委ねられているのだと思う。

どんなに社会の仕組みが目まぐるしく変わっていくとしても、人が優しさを忘れない限り
人間的な豊かさは失われないんではないかという今を生きる上でのヒントを得た。


データの価値って?

mixi以外にこっそり友達とやっていたSNSが閉鎖しちまいました。
もともと登録人数の少ないマニアックなSNSだったので仕方ないけどちょっと寂しいもんだ。

ネットサービスビジネスというのは色々出てきては消えて出てきては消えての繰り返し。
サイバーの環境が商業的にも法的にも淘汰され
整備されるにはまだまだ時間がかかるだろう。

もともとデータ処理というサービスに対して対価を払うということ自体が
どうにも金銭価値を狂わせているように思える。果たして着うたが一曲50円とか
100円というのは安いのだろうか。携帯電話の料金プランの価格は妥当なのだろうか。

もともとそれ自体の価値を決める体系はすべて企業、売り手側にあるものなので
まったく正しいかどうかという余地は利用側には委ねられていないような気がする。
消費者側もこのデータならいくらだろうという感覚はまったく
もって一致していないことも問題であると思う。

モノやハードを売るならばこれは高いとか安いとかある程度万人共通の
常識的金銭感覚というのもが働くものだが、データはそうではない。
着うたというものが確かに新品でCDで聴くよりも安いというのは分かる。
しかしあまりに相対的な見方であってそのデータが加工される際のコストや
転送される際のコストなどを考慮したりするといったいどうなのであろうか。

これまで音楽を聴くにはレコード、CD、MDを介してきた。
いずれもソフトの形を取っているがジャケットがある以上CDをプレスしてブックレットを
印刷して輸送するというコストを考えるとやはり値段はそれなりというのは頷ける。

しかしもはや輸送する際のそれらの「箱」はいらなくなってしまった。
この問題はCDに限らずあらゆる媒体を介する商品に対して直面している。
小説も読もうと思えばコンピュータで読める。映画も配信で自宅で見るのは
当たり前になってきている。ゲームもダウンロードすればゲームショップに
行かなくてよくなるのである。

もともとコストがかかっていた梱包と輸送と陳列と直売店の土地代その他
様々な要素が一気に削ぎ落とされた結果本当のソフトの価値が明るみになりつつある。
普通ソフトの形状をもっているものは一律の値段で売り出されている。
CDであればシングル1,000円、アルバム3000円、小説であればハードカバーなら
1200円くらい、文庫であれば600円くらいという風な価値体系のことである。

しかしこれらの媒体がデータ転送となった場合この価値体系は
売り出し直後のほんの最初しか意味をなさなくなるのである。
あとは純粋に人気順で価値が決まってしまう。さらに人気が高くてもソフトの場合は
後に価値が下がるからややこしいのである。メガヒッツを成したソフトは
必ず消費しつくされて市場に廉価版として売り出されるからである。

あえて人気と書いたが、人気と需要はちょっと違うと思ったからである。
ここでもうひとつ話をややこしくするのが広告宣伝である。
大々的に宣伝されたものはどんなものでもだいたい売れる。
人の頭に焼き付いている分だけ売れるのでひどく単純ではあるが
果たして本当の意味での需要なのかというと甚だ疑問である。
宣伝広告費用というものも莫大にかかるものだがこれもまた
本当にその価値体系が正しいのか誰にも分らないことなんではないかと思う。

形のない商品を形のない宣伝広告という手段で我々が認識し
とりあえず購入するわけだが、どこまで消費者の意思が自立的に
その売買契約の中に反映されているのだろうか。怪しいものである。

これからは本当の価値を自分で見極めなきゃならないのは間違いないのだが
データ社会という構造はそれを想像以上に困難なものにしていると思う。


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隼んver.2.1

Author:隼んver.2.1
性別:男
出身:北海道札幌市
現住所:神奈川県横浜市
血液型:不明(いい加減知りたい)
職業:小売・販売業
これまでの迷言:
おれ達は前を見ることしかできない。
好物:ラーメン(何味でもかまわんです。)

少年老い易く、学成り難し。
もう少年でもないので、
老いてゆかぬよう頑張ります。
おっさん老い難く、学成り易し。

リンクフリーでございます。


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