今日も今日とて、とぜんでございます。

20代偏屈オタ男が日々とりとめないことを 書き留めるための随想録。 そしてそれは落書帳。 そしてそれはネタ帳。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

第12章:ヒロシマの灯

ようやく快適な眠りを得ることができた我々は
清々しい広島の朝を迎えた。
八月十二日、午前六時のことである。
ついに三日目への突入であった。
まだ三日目とも、もう三日目とも、とれる不思議な
時間感覚の中、朝飯にありつくため広島駅構内をふらつく。

「マクドナルド」と「うどん・そば屋」がある。
私はすかさず「うどん・そば屋」がいいと推す。
朝からマックはちょっと勘弁して欲しかったのである。
メガネ、ミキサーの彼も「うどん・そば屋」で良いと言う。
…残るは恰幅の彼だが、どうやら「うどん・そば」のうち、
「うどん」という言葉に過剰にアレルギー反応を起こして
いるようである。それもそうだ。当人だけでなく、
他三人も少し拒否反応が出ているのだ。あんな光景を
見せつけられてちょっとしたトラウマにならない方が
おかしいのだ。

無言のまま自然と二組に分かれ朝食を摂ることにした。
その人数比率は言うまでもなく三対一である。
それでも「うどん・そば屋」に入店した三人のうち、
「うどん」を注文した者は一人もいなかった。
食べ物の記憶とはかくも人を縛り付けるものだろうか。

恰幅の彼は「うどん」以外なら食欲旺盛と見え
きっちりとマックを平らげたそうだ。

栄養を摂取し、身が軽くなった一行は昨日から
心に決めていた広島原爆ドームを拝見するため
路面電車に乗り「平和記念公園」を目指した。
西に来てからやたらに路面電車が目につく。
街のど真ん中をゆっくりカタコトと走っていく
路面電車もまたオツなものである。

ここまで「笑い」を狙うことばかり考えてきた
私たちであったが、原爆ドームを見て笑うことなどできはしない。
それ故この先の収録は真面目に行うぞ、という気概を
皆が持っていた。そういう雰囲気も手伝って旅を始めた当初とは
違ってアカデミックなテンションであった。

続く。


この日も、太陽が燦然と輝く眩しい朝であった。
車内に「平和記念公園」を告げるアナウンスが聞こえる。
小銭をそそくさと用意して支払いを済ませ、
路面電車を跳ね降りると目の前に緑豊かな公園が広がっていた。

一歩また一歩とゆっくり四人足を進めていくと、
だんだんとドームの姿が見えてくる。
映像や写真で何度も見たことがあるのに肉眼で見る
その姿からなんとも言えない緊張感が伝わってくる。

KC290012_原爆ドーム01

KC290013_原爆ドーム02


目の前までくるとただただ立ち止まって眺めてしまう。
一応収録を続けていたが、うまく言葉にならない。
一介のただの若造がこの建物に対して何か言うということが
重い行為に感じられてしまったのだ。

ただ説明するだけの形骸的な言葉を並べ終えて
原爆ドームのすぐ横の灯篭流しが行われる元安川の
川べりで休憩を兼ねて佇んでいると一人のメガネをかけた
見知らぬ真面目そうな男性が私たちに話かけてきたのであった。

「大学生?旅行で来たの?」
「横浜から来ました。」咄嗟の問いかけに生返事を返す。
「私はここでボランティアのガイドをやっているんですわ。
もしよかったら爆心地を案内するけど見に行かないかい?」
と生真面目な男性は続ける。
そういうことだったのかと、なんとなく安心すると
今度はすぐに驚いた。たわいもない会話しているうちに
徐にガイドさんは紫色の小さな手帳を取り出した。
「これ被爆者手帳。」と軽く目の前に見せてくれたのである。

初めて見た。何の変哲もない母子手帳のようなその
手帳の上に第四号被爆者と小さく太く書かれている。
「第四号被爆者ってのはね、胎内被爆者のことだよ。」と
説明を添えてくれる。

とにかく暑さと、突然のことでちょっと思考停止状態であった。
しかしお話を聞いているうちに、この人の話は今ここで聞いて
おかなければこの旅において大きな損失になるということを、
ガイドさんの記念公園のことを淡々と語るその衒いのない
眼差しから直感したのである。

私は咄嗟に「大学でラジオ放送のサークルをやっていました。」
と告げ、このガイドの様子を収録しても良いか許可を請うた。
ガイドさんは快く承諾してくれた。思わぬ収穫であった。
朝八時丁度に原爆ドームの前に立ち、ICレコーダーで
ぐだぐだと収録していた甲斐があったと思った。

そのボランティアガイドさんは自己紹介も兼ねて、
名刺と中国新聞に取材を受けた時の新聞のスクラップコピーを
私たちに渡した。高校で英語教師を退職して間もなく彼は
外国の方を含めたった一人でガイドを行い続け2007年八月現在、
約一年間で四十カ国、二千四十人の方をガイドした、という記事が
そこに書かれている。一人の人間が年間で二千人の人間を
ひたすら案内するというその行為に純粋に敬服した。

平和記念公園の案内というと、どうにも重苦しく
感じてしまうものだが実際人当たりのよい気さくな方で
変に力も入らず見てまわることができた。
だからこそこれほどに案内できるのかもしれない。

原爆ドームから五分くらい歩くと小さな地蔵のようなものの
前に案内された。大理石の上におかれた普通の地蔵なのだが
被爆当時もここに立っていたのだという。
「台座を触ってみて。」というので触ってみると
地蔵の影になっている部分とそうでない部分で感触が違う。
「影になった部分は焼けてなくてつるつるしてるでしょ?
焼けちゃった部分は石英が溶けた分ざらざらしてるんだよ。」
とガイドさんは説明してくれる。

原爆の爆発は一瞬のことだ。一瞬の灼熱は石英を溶かしてしまう。
その事実だけで何も言えない。ただ驚くばかりである。
そして今もそれが「地蔵の影」という形でこの街に
刻まれていることになんともいえぬ感慨を受ける。
こういった「影」は探せば街の至るところに残されていると
ガイドさんは言う。

そこから被爆でなくなった方のお墓なども案内してもらい
例の「爆心地」に案内してくれた。文字通り原爆が
その上空で爆発した地点である。
てっきり原爆ドームがそうなのかと思っていたが
そうではなかった。

KC290022_現在の爆心地

KC290020_広島_被爆当時の様子


爆心地には立派な金文字で島外科と書かれた病院があった。
当時も「島病院」であったそうだ。
当時も多数の患者を抱えていたそうだが、
院長は出張をしていたそうで被爆を免れたそうだ。
患者と残った看護婦さんはその犠牲となった。
帰ってきた院長はさぞ悲嘆に暮れたと思う。
被爆当時の下の写真でいうと丁度T字路の
交わっているくらいの地点であると思う。

そのまま島外科を過ぎ原爆ドームに戻る際に
相生橋という橋を通る。この橋は爆心地とほぼ
並んだ位置に架かっている橋である。
当時のセピア色の相生橋の写真をガイドさんは取り出すと
橋の柵部分の支柱が今の橋と比べると左右に広がって
いることを指摘して私たちに教える。
どういうことかというと爆心地と直線に架かるこの橋は
橋を真っすぐに走る爆風で左右に広げられたということを
意味している。

橋を見ても地蔵の影を見ても知らされるのは人知の及ばぬ
威力の兵器が、平和の記念を象徴するこの地に確かに
その猛威を奮っていたという事実ばかりである。

それでもガイドさんは気丈に「原爆ってそんなもんよ」と
優しく笑いながら語っている。

そうして歩きながら興味深い話に耳を傾けているうちに
平和記念公園の中枢に足を踏み入れて行く。

ガイドさんはポシェットから色々な資料を
提示しながら当時と今の様子を見比べて
原爆についての説明を続けてくれる。
分かりやすいというよりも今、目の前に
広がっているこの当たり前の街の風景に
当時の悲惨な風景を透かし見るような感覚が迫ってくる。

「原爆の話や歌でよく一瞬で人間が灰になるっていう
表現が出てくるけど、そんなことはないんだよ。
一瞬で表面だけ深い火傷を負って、内臓を焼かれるんだ。
だからそこらじゅうに遺体と重傷人が横たわっていたんだ。」
昔読んだ原爆の小説の一文とガイドさんの話が重なる。

「この絵はね、被爆者の人たちの最も印象に残ってる
被爆当時の絵を描いてもらって集めたものなんだ。」
その絵の中には無数の人が川に向かって降りていく
様子が赤を基調として描かれている。
「内臓がやられると、とにかく喉が渇く。でも水を
飲んだら大抵死んでしまう。それでも今の状態で
いるよりはマシなんだろうね。」
たった60年前に今この目の前にある元安川で
起こった惨劇である。

KC290014_慰霊碑


慰霊碑の前で立ち止まると、一つの問いかけを
ガイドさんは私たちにしてきた。「アメリカ人が私に
質問することで一番多い質問ってなんだと思う?」
分らなかった。
「『日本人は今でもアメリカを憎んでますか?』って聞くんだよ。
そういう風に聞かれると私もなんて答えたらいいのか迷うけど
この慰霊碑の下に書かれていることを翻訳して伝えるんだ。」
そこには「アメリカを憎む」とか「敵国」とする表現はどこにも
出てこなかった。代わりに「戦争を憎む」という言葉が
刻まれている。
「その翻訳を伝えるとね、中にはボロボロと涙を
流すアメリカの人もいるんだ。『なんでこんな残虐非道を
尽くして恨み事一つ書かれていないんだ』ってね。」

色んな国の方を案内しているとそれぞれ原爆に対する
感じ方や考え方は様々であるという。ただこの広島の
平和記念公園の意義は「復興」「和解」にあると
ガイドさんは語る。原爆という殺戮兵器を投下されたにも
関わらず、こうしてアメリカ人を日本人のガイドが
案内している。そしてそのアメリカ人がその話で涙を流すという、
この事実が多少なりとも「和解」のひとつの形を示している
ことには変わりないように思える。

その後も被爆者の遺骨をおさめた納骨堂や、
原爆供養塔、韓国人原爆犠牲者慰霊碑などを巡っていく。

引き取り手のない遺骨が無数にあるという。
そして今も広島市で都市開発が行われると
新たな「遺骨」が出土するという。
今でもなおこの地には遺骨が眠っているのである。

KC290016_被爆木


続いてやってきたのは、被爆した樹木の前である。
被爆を受けるのは人だけではない。
そこに存在したすべてのものが被爆する。
よく見るとわかるのだが真中が割れている。
これは被曝によるものだそうで一度割れても
木は成長を続けてそのまま割れ目を残しているのである。
こうした被爆樹木はあちこちに植林されているようで
これもまた一つの痕跡であろう。

最後に平和記念資料館を抜け、広島復興に協力した
マルセル・ジュノー氏とノーマン・カズンズ氏の記念碑を巡った。
資料館の中はとても涼しかった。
原爆時計なるものがあり、原爆実験がどこかの国で開始されると
カウントがリセットされるというものであり、リセットされずに
動き続けると自動的に停止するというものである。この時計が
止まるころには核兵器のない世界が訪れているというわけである。

そして館内には大きな石碑が二つならんでいた。
「これは写真にとっておいてもいいんじゃない?」と
ガイドさんが勧める。

KC290017_石碑_ヨハネ・パウロ二世

KC290018_石碑_ヨハネ・パウロ二世_原文


ローマ法王、ヨハネ・パウロ二世の言葉を記した石碑だ。
翻訳文と、原文では少しニュアンスが違ってくるが、
「過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うことです。」
この一文の重さにはただただ身につまされる。

炎天下の中、平和記念公園を巡るガイドツアーも
終わりを迎える。平和記念資料館の前で
ガイドさんに「ありがとうございました。」と
ただそれだけしか言うことができなかった。
「いやー、真剣に聞いてくれてよかった。考えるのは
難しいだろうけど、それはこれから君たちが
ゆっくり考えてくれればいいから。」と温かく応えてくれた。
四人それぞれガイドさんと固く握手をして別れを告げた。

本当に良き人に出会えたと思う。
運はまだ私たちを見放してはいなかったようだ。

その後すぐに資料館に入った。五十円という入館料の
安さにも驚いたが、ガイドさんが勧めてくれた図録を
ミュージアムショップで購入した。

KC290243_図録「ヒロシマを世界に」


図録「ヒロシマを世界に」。
被爆を受けた時に停止した懐中時計が表紙になっている
この図録は千円ぽっきりである。
フルカラーでこの紙質でこの値段とは驚きである。
ガイドさんが語ってくれたような被爆当時の様子や
原爆自体の構造の説明などが丁寧に編集され紹介されている。


平和記念公園は広い。それでも「原爆」というものが
残した傷跡を説明するにはまだ足りないのかもしれない。
それでもこの旅でその片鱗に少しは触ることができたと思う。
ガイドさんに出会えたことをただ感謝するばかりである。

平和記念公園では今でも原爆の残り火である「平和の灯」が
絶えず灯っている。そして記念公園には今でも
世界中から無数の千羽鶴が届けられている。
千羽鶴は体育館のような倉庫を埋め尽くすほど
溢れており保管されているそうだ。

平和記念公園の記念とは「祈念」という意味も
含んでいるだということに改めて気づかされた。
ただそこに「影」や傷跡が記録として
残っているだけではなく、それを残すことによって
平和を祈り願う気持ちがそこには込められているのだろう。

ガイドさんの言うとおり私にはまだその重みを
解釈して納得して何かを考えることは容易ではない。
ただ過去を振り返り感じることはできた。
そこで確かに起きたことを後で生れた人間は
体感することは決してできない。その気持ちを
完全に理解することはもっと困難なことである。
たがしかし、ありのままの事実を知ることはできる。
過去を知ることで前よりも今や将来に何かしらの
価値観の変化を齎すことができるのならば
その歩みを止めてはならない。そんなことを
ヒロシマには教えてもらった気がする。


(被爆者の一回忌にはこの白の飾りがお墓に飾られる。)
KC290023_飾り

KC290021_記念公園_広場



スポンサーサイト

« 第13章:海路|Top|第11章:鉄板オーケストラ、第二幕 »

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://hayabusan.blog101.fc2.com/tb.php/125-1a048134

Top

HOME

  falcon.ver.2.1 < > Reload

隼んver.2.1

Author:隼んver.2.1
性別:男
出身:北海道札幌市
現住所:神奈川県横浜市
血液型:不明(いい加減知りたい)
職業:小売・販売業
これまでの迷言:
おれ達は前を見ることしかできない。
好物:ラーメン(何味でもかまわんです。)

少年老い易く、学成り難し。
もう少年でもないので、
老いてゆかぬよう頑張ります。
おっさん老い難く、学成り易し。

リンクフリーでございます。


-天気予報コム- -FC2-

FC2ブログランキング

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。