今日も今日とて、とぜんでございます。

20代偏屈オタ男が日々とりとめないことを 書き留めるための随想録。 そしてそれは落書帳。 そしてそれはネタ帳。

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芸能ニュースの向こう側

沢尻エリカの女王様問題。世間を賑わせています。
スポニチに今と昔の比較写真がでかでかと載っていました。
一方は黒髪で天真爛漫な笑顔をまっすぐ振りまく姿。
一方は前髪にかかった金髪から冷たい視線をあてつける姿。
二つの顔が対照的に写し出されています。

21歳という年齢とか、プロの女優の立場とか色々な視点からの批判、
はたまたカリスマ性を貫こうとしたという称賛など賛否両論は
あって然りですが、とりあえずこの手のつっぱねは、
出る杭は打つ国民性をもつ日本からいって悪印象が強い模様。

礼儀常識の観点から言って明らかに態度が悪い。
というのは大多数の意見でおれもそうは思います。

ただイベント的に見ればなんとなく面白い。
もちろん当事者じゃないからこんないい加減な発言ができるのは承知しています。
だからおれは彼女がどう発言しようと特に良い悪いとか言う気も起きませんし
そんなことを言っても不毛な気がするのです。
21歳だからとかどんな職業だからといった立場の話はほとんど無意味にも思えます。
これだけ無数の人間がいればちょっとくらい礼儀知らずだったり
意図の読めない人間がいたって不思議じゃないからです。
むしろもっとそのことに諦観とか虚脱感を抱いている人が多いのではないかと思います。

何が面白いのかというと、アイドルという存在について考えたとき、
今のテレビの中の人の在り方、言い換えると
人々がどのようにテレビの中の人を見ているか、ということが少し見えてくるのです。

本当によくお世話になっています。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の
一部にこういう指摘が載っています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%AB

「『アイドル』と近いイメージの言葉に『スター』というものがある。
両者の違いは明確に定義できないが、スターは手の届かない『高嶺の花』なのに対し、
アイドルはより庶民性が高い存在という見方がある。
アイドルの庶民性を表現した『隣のお姉さん(のような)』という言葉もある。」

もちろんwikiは「みんな」が手を加えて完成させる百科事典なので
これが絶対的に正しいなんてことは言えません。
それは広辞苑にしてもあくまでもガイドラインのようなもので
絶対ではありません。言葉を明確に定義することはほぼ不可能です。
ただよく考えてみると確かにスターという言葉は使われなくなりました。
今では「にしきのあきら」と「高橋徹郎」くらいなもんです。

アイドルという言葉の移り変わりは上のリンクにて
詳しく言及されているのでここでは書きませんが、
大事なことは「絶対性」がなくなっているということではないでしょうか。
1959年の皇太子ご成婚パレード中継を皮きりにテレビは爆発的に
普及を見せました。だいたいどの家庭にも行き渡ると
最初のころはみな同じ番組を見て同じメディア観を持っていたと
考えられます。今ほど番組もメディアも多種多様ではなかったはずですから。

そうするとテレビの中にいる人はまさに全国民の目に映る存在だったのです。
それが「スター」だった。こう推論してスターとアイドルの違いを
おれなりに整理すればそれは絶対性の有無にあるように思うのです。
絶対性とは、文字通り老若男女問わず皆が知ってる、
「その人の名を聞けばああ、あの人ね。」
とほぼ全国民がイメージできるレベルの多数的知名度のことです。
この絶対性は同時に「高嶺の花」という手の届かない
遠い人のイメージも同時に生み出します。王政の原理と同じです。

「アイドルはトイレに行かない」という冗談めいたファン意識の言葉がありましたが
これが表していたのはこのときは絶対性がまだ確保されていたということです。
「今ここに映っているかわいらしい女の子は別の世界の生き物、
生きている次元が違う。」というニュアンスがこの言葉から読み取れます。
しかし今の時代この言葉はほとんど聞くことがありません。

時代は変化していきます。番組も色々なものが増えます。
バラエティ。クイズ。今ではいったいなんのジャンルの番組か説明するのも
難しいものが多々あります。それに情報を与えるものはテレビだけではなくなりました。
そうこうしているうちにテレビの中の人の私生活が暴かれていきます。
人は人なのだから我々と同じように生きているのは当然です。

アイドルという言葉も今では定義が曖昧です。とくにグラビアアイドルが
台頭してきてからはもはやそこらへんにいる女の子とテレビの中の
アイドルは私生活が露になり同列に語られるようになっています。
これはアイドルという言葉がもともと「隣のお姉さんのような」庶民性を含んでいたという
最初の指摘に合致します。派手な演出や格好をしたアイドルよりも
ナチュラルメイクの自然な女性の方が好まれる傾向はこのことを示唆しています。

今は手の届かないような絶対的な人物は
テレビの中にいないということに気付かされます。
一度テレビによって画一化された人々のメディア観から数十年経った今、
色々な価値観が生まれ容認され知ることができるようになったからです。

歌のうまいアイドルもいれば、オタクなアイドルもいれば、
演技のうまいアイドルもいるし、トークがうまいアイドルもいる。
バラドルとか~ドルという造語が多種多様に生み出されています。
それが今の時代なのです。一つの偶像を崇拝する時代は終焉を迎えます。

こういう様々なアイドルがいる環境とは、まさに自分たちがリアルに
生きている社会そのものです。その中から同じような価値観の、同じような思想の、
あるいはそれを容認できる、付き合いやすい人を見つけて徒党を組む。
コミュニティ形成の基本です。同じ原理でファンになれるアイドルを人は探します。

沢尻エリカの今回の問題発言は、テレビの中の
ただの出来事ではなく一般的に我々が体感する日常です。
生活していると、「目つき悪くて、こいつ態度悪いな。ムカツク。」
こんなことひと月に何回か経験しているはずです。
そこに重ね合わせてバッシングするのは当り前の所業なのです。

アイドルを好きになるのは、身近にいる人間を崇拝するよりも
誰からも批判も受けず誰の価値観にも影響を受けない
無制約の状態だからです。その人がメディアに露出する限り
半永久的にファンでいられるからです。
これを逆の状況から考えれば、批判も叱責も同じです。
たとえムカツク人間がいてもそうそう人は喧嘩をふっかけません。
あとあと面倒になるからです。ただテレビの中の人は別。
そういう職業なのだから批判されて当然という意識が一般的です。
日頃の理不尽な人間に対するバッシングが人気女優の
悪辣な態度と鏡合わせにダブり爆発しているように思えます。

これはもちろんインターネットの所業も大きいと思います。
前回の記事でも同じようなことを書いていますが、
無制約に発言できるこの場は、そういったスキャンダルバッシング、
あるいは盲目的称賛をするにはもってこいの環境です。
人々の日頃の欝憤というガス抜きにはいいのかもしれません。

大衆心理とアイドルの向こう側に何かもう一つの社会心理が
隠れているように思えてならない。
スポニチと睨めっこしてそんな感想を抱いた週末の朝なのでした。


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隼んver.2.1

Author:隼んver.2.1
性別:男
出身:北海道札幌市
現住所:神奈川県横浜市
血液型:不明(いい加減知りたい)
職業:小売・販売業
これまでの迷言:
おれ達は前を見ることしかできない。
好物:ラーメン(何味でもかまわんです。)

少年老い易く、学成り難し。
もう少年でもないので、
老いてゆかぬよう頑張ります。
おっさん老い難く、学成り易し。

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