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20代偏屈オタ男が日々とりとめないことを 書き留めるための随想録。 そしてそれは落書帳。 そしてそれはネタ帳。

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ファティック・コミュニケーション

ジャポニカロゴスとかNHK講座などに出演している金田一秀穂氏の
話の中で面白い言葉を聞いた。

「ファティック」という言葉なのだが言語学における専門用語らしい。
単語本来の意味自体は「交感的な; 儀礼的な, 社交上の」という意味である。

個人的な解釈なので自身はないが言語学で語られる「ファティック」とは
犬の遠吠えのようなものなど、とにかく何らかの音を発する行為であり、
すなわち自分の存在を他の同じ種族の仲間に知らせる本能的行為のことらしい。

自分が「ここにいるぞ」と知らせることは、群れをなしたり、種族繁栄をするためには
メリットある行為に思えるが、良いことばかりではなく天敵にも
自分の位置を知らせてしまうため非常にリスキーな面も含んでいる行為なのだ。


それが人間の間でも行われているというものだ。
確かに言われてみればそうかもなぁと思うことが多い。

携帯電話やPCによるメールや電話でたわいもない世間話をすることや、
話までも至らずただ「おう!」と一言送ることでもファティックとしては十分なのだ。
とにかく自分がここに生存しているぞ、ということが相手に伝わればそれでいいということだ。

つまり話している内容や言葉には特に際立った意味がないのが人間の
言語コミュニケーションにおけるファティックの特徴であると言うのだ。

電車の中でも教室でも街中でも確かに親指を上下左右に別の生き物のように
動かしてメールを打っている人は多い。中には本当に重要で必要な
情報を交信している人もいるだろう。しかしその大半はおそらく待ち合わせの連絡、
特に重要ではない会話、特に今すぐに必要のない会話だったりするだろう。

そう考えると人間は動物の中で実はファティックを最も盛んに行っている
種族なのかもしれないなという気がしてくる。

確かに言葉というものは「言葉尻に捉われる」だの「言葉の綾」とか
言っていつも誤解を招く危険がある。誤解までいかなくても正確に寸分違わず
その人の考えていることを別の人に伝えることは不可能である。

そんな難しく気持ちを伝えようとするよりもただ「元気でやっているよ。」という言葉に
何よりも人は安心しているし、自分も「元気でやっている」かどうか
他人に少しは知ってもらいたいと心のどこか思っているはずなのだ。

「元気でやっている」というのはつまり「生きている」という意味に置き換えられると思う。
人の人生は十人十色、多種多様で一人として同じ人生のものはいないが、
必ず死ぬという宿命を人が背負っている限り「生」に関しては間違いなく共通して
体感している万人共通の感覚なのだ。だから「元気?、最近どう?」と聞かずには
いられないのだと思う。「生きている」かどうかは間違いなく同じ認識を皆しているからだ。

ただ野生の動物のファティックと徹底的に違うのは声を発したり、相手に何かの合図を
送ったからといって人間は天敵に襲われることはまずありえないことだ。
つまりほぼリスクなくこれが行えるのである。加えて現代はコンピュータによって効率的、
というよりも気負いせず、何の苦労も危機感もなくファティックできる時代だ。

昔は電話するか手紙を書くしかなかった。電話も手紙も天敵に襲われるリスクは
もちろんないが、それなりの気負いとエネルギーがいる。少なくともおれはそうだ。
おいそれと軽い気持ちで手紙を書くことはできない。

「私はここに生きている」ということを何かしらの使命感やエネルギーを持って伝えるのと、
ほぼ無意識的にモールス信号のように機械的に伝えるのでは
ファティックに込められた生の交信の強さはまったく異なってくると思う。
意味的な問題ではなく、単純に「強弱」という感覚的問題である。

そうでなければ電気信号で皆「つながっている」はずなのに
これほど孤独感が問題視されないはずなのだ。

ファティックが強く互いに行われたとき意味や理解を超えた連帯感が生まれるというのは
何となくわかる。それはスポーツとかでパスがすげーうまくいったときとか連携できたときに
感じる喜びに似ている。

だからEメールの文字によるファティックにも確かにその効果はあるだろうが
やはり何か薄いものを感じるというのは当たり前のことのような気がする。
だから告白はメールじゃだめだ!とか大事な連絡は電話とか実際に会って話すべきだ!
という確固たる確信めいたルールが通用しているのだと思う。

でもそれが「何でそうしなければならないんだ?」と聞かれれば
たぶん具体的に答えられないはずだ。無理に回答するとすれば「当り前のことだろう」とか
「それが人としての社会のマナー、礼儀」だという答えが返ってくるだろう。

ファティックにおける内容自体に意味はなく、手段による交信の強さの方が重要なのだ。
ただ「そうして伝える、知らせるという行為」が大事だから、
そして本能的なものだからと考えれば色々交わしている特にたわいもない
会話がいかに大切かということが見えてくる。


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隼んver.2.1

Author:隼んver.2.1
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出身:北海道札幌市
現住所:神奈川県横浜市
血液型:不明(いい加減知りたい)
職業:小売・販売業
これまでの迷言:
おれ達は前を見ることしかできない。
好物:ラーメン(何味でもかまわんです。)

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もう少年でもないので、
老いてゆかぬよう頑張ります。
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