今日も今日とて、とぜんでございます。

20代偏屈オタ男が日々とりとめないことを 書き留めるための随想録。 そしてそれは落書帳。 そしてそれはネタ帳。

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第2章:疲れのその先へ

博多にて謎の一大アミューズメントパーク「レジャっぱ!」にて九州の初夜を迎えた
男四人一行。この先の計画も依然霞がかったままとりあえずこの不夜城で夜を越そうと
目論んだのであった。

大きなのを催していた私は濃い緑色のカベに囲まれている
アミューズメントっぽいトイレにて事なきを得て大人としての尊厳を守ることができた。

さて中の構造は前章で説明した通り、エントランスに入ってすぐ見えたのは
「サスケ」もどきとゲームコーナーである。ゲームコーナーと言っても要は
ゲームセンターと言って差し支えがない。ただ違うのは時間制であるから
コインを入れる必要はない。ただボタンを押すだけでいくらでも遊べるというわけだ。
上にボーリングレーンもあるようなので後で行こうとわいわいと盛り上がっていた。

そして特筆すべきなのはロデオマシーンだ。ジョーバとか最近ではあの手の
マシーンが流行っているがそういった健康器具のそれとは異なっている。
動きがやばい。激しすぎるのだ。事実振り落とされてもいいように
回りに黒い肉厚のマットがマシーンの中心から半径2メートルくらいに
渡って敷き詰められているのだ。動きに段階があるのかもしれないが
完全に制御不能になった馬の上に乗るのと大して変わらないと思う。

ここまでかなりの乳酸が体全体にたまっているのを感じた私は
別段乗る気も起きなかった。ぼーっと鉄の馬を眺めていると
若い地元民と思しきカップルがやってきて彼氏がおもむろに彼女を乗せて
その肢体を眺めて楽しんでいた。なんとなく嫉妬しながら微笑ましく眺めていた。
つくづく一般人とはかけ離れた思想のもとに足を進めている旅だなぁと
ふいに思い知らされた。10代の頃は私ももっと無邪気だったはずだろう。

このままだとお決まり通り物思いに耽ってちっとも楽しめないので
ストイックに音ゲーをやりにいった。中学の頃から音ゲーはやり続けてきた。
なので一般人から見たらだいたいキモイと言われるくらいのプレーはできる。

詳しく知らない人に説明すると、「ビートマニア」という名前くらいはご存じだろうか?
白と黒のボタンにスクラッチという回すギミックのついた筐体機である。
そして画面に映し出される上から流れてくる譜面とシーケンスに
合わせてボタンを押していくと音がなって曲が出来上がっていくというものだ。
他にもギター型やドラム型のものもあり色々な楽器をシミュレートすることができる。

口で説明するのは難しいので詳しく知りたい人は検索してほしい。
それをプレーしに行こうとしたら、恰幅の彼が見慣れぬ音ゲーをプレーしていた。
三味線シミュレーションだった。「太鼓の達人」があるのでまあ三味線もありかとも
思えるが、三味線は機械とかそういったものから最も程遠い楽器なので
その違和感といったらなかった。おまけにペチペチと音までするので
なんだか恰幅の彼がカラクリ人形のように見えて斬新な画であった。

負けじと「ドラムマニア」をプレイして一息ついた。
得てして男同士で遊びにいったりすると団体行動にはならず
何かスポーツをして遊ぶ以外はだいたい個人個人で遊ぶようになることが多い。
そういった例にもれず皆思い思いのゲームをプレーしていたようだった。

メガネの彼がスーファミから偉大な進化をとげたレースゲーム「F-ZERO」の筐体版を
やり終えたのをみなで見届けるとボーリングレーンに向かうために階段をかけあがった。


謎の施設は5階まであってレーンは最上階に位置していた。
外観から見てそんなに大きな建物には見えなかったのだがやはりデカイようだ。
階の途中にはサバゲーができるよう攻防が楽しそうなフィールドが用意されていたが
残念ながら明かりはついておらず、夜中は閉鎖されているようだった。
その閉鎖具合がなんだか雑居ビルの廃墟に見えて少し怖かった。

5階に辿り着くとガコーンというピンが倒れる小気味よい音がしている。
ピンクのネオンの光がカラフルな壁を一層派手に照らしていた。
なんだか知らないがこの施設はいちいちどことなく退廃的な雰囲気を醸している。

レーンをまじまじと眺めて思いつめた。中学からゲーセンに入り浸り
不埒な少年時代を過ごした私だったが、実はボーリングはほとんどやったことがなかった。
たぶん人生で2,3回くらいなのだ。そこいらの学生のイメージと変わらず遊び呆けていたが
なぜかボーリングに行く機会がほとんどなかった。そうこうしているうちに
大学生になっちまい、いよいよボーリングとほぼ関わらずに成人した。

そもそもボーリングに対するイメージは最低だった。それは小学生の頃の
軟弱な寂しき思い出に由来する。低学年の頃、私は初めてボーリングにつれていかれた。
背の順に並んで前から数えた方が早かった私にとって鉛のようなボーリング玉は
あまりに巨大で威圧感のある物体だった。

当時はジュニアレーンと言われるいわゆるガーターにならないような
生易しいレーンは存在していなかった。案の定、大きな玉は子供の小さな手から
零れ落ちて転がり暗黒へと続く溝へとすーっと吸い込まれていった。
ピンを倒すという至極単純なルールは小さかった私にも分かっていた。
一本も倒せなかったという事実は子供の安い自尊心を傷つけるには十分だったらしい。
泣きじゃくってボーリングなどしたくないとはっきりと断言した記憶が片隅にあった。

もともと運動神経も悪い私はその小さい頃の記憶が抜けていなかったこともあって、
できないと決めつけていた節があった。


そんな情けない事情もあってボーリングはほとんど初めてに近い状態でやることになった。
とりあえずシューズを借りて、適当にゲームを始めた。
ボールを持って見ると何ポンドの玉だか忘れたが流石にもう軽々持てる。

第一投はやはり明後日の方向へ。ガーター。そりゃそうだ。
いきなりうまく投げられれば苦労しない。だがめげない、しょげない。もう子供ではない。
友人のアドバイスを参考に重めの玉にしたり、投げ方を教えてもらううちに
ストライクとはいかないが、8本も倒せるようになった。といってもスコアは
糞みたいなもんだったが、あの頃とは違って楽しかった。

恰幅の彼はここでも珍事を起こしていた。彼が投げたあと必ずといっていいほど
スコアエラーを起こすのだ。何がいけないのかわからないがきっと「空海の水」を
あんな使い方をしたから罰が当たっているのだと思うことにした。

しかし今思い返してみるとよく三日目のほとんど眠っていない状態で
夜中に遊んでいたと思う。一種のサイヤ状態というか限界を超えると
割とどうにでもなるものなのだろう。

ボーリングを終えて帰り支度をする頃には既に日付は変わろうとしていた。
8月13日すなわち4日目に突入だ。
しかしそんな感慨実はどうでもいい。この「不夜城」まったく寝させる気がない。
鋼鉄のロデオがもう帰るのかと言わんばかりに見下ろしてくる。

寝床を探さなければ。できればちゃんと眠れる「漫画喫茶」がいい。
あるのだろうか。この時間から探すのは苦痛だ。
何よりまたあの長い帰り道を駅まで戻らねばならない。

最後に頼れるのは己の根性だけである。
振り返ると不夜城はまばゆい光を湛えていた。
「最初は疑ってすまなかった。」と思った。疲労の代わりに楽しい時間をくれた。

夜の帳に妙な寂しさを感じながら駅の方へつま先を向けた。


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隼んver.2.1

Author:隼んver.2.1
性別:男
出身:北海道札幌市
現住所:神奈川県横浜市
血液型:不明(いい加減知りたい)
職業:小売・販売業
これまでの迷言:
おれ達は前を見ることしかできない。
好物:ラーメン(何味でもかまわんです。)

少年老い易く、学成り難し。
もう少年でもないので、
老いてゆかぬよう頑張ります。
おっさん老い難く、学成り易し。

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